ナッジ理論の共同提唱者であり、著書『実践 行動経済学(Nudge)』で知られるキャス・サンスティーンは、組織能力の強化について、2つのアプローチがあると述べています。すなわち、既存の行政組織の中でナッジを活用する方法と、ナッジ専用の新たな組織を設立する方法です。
前者の場合には、適切な権限と明確な使命が与えられ、ナッジの知識を備えた人材が確保されているかが鍵になります。一方で、後者については、イギリスや米国のようにナッジ・ユニット(行動インサイトチーム)を立ち上げる事例があり、その形態は様々です。例えば、少人数(5人程度)で柔軟に活動する小規模なチームもあれば、30人以上の大規模チームで多様な分野に取り組む場合もあります。
サンスティーンは、ナッジ・ユニットを実社会においてインパクトのあるものとするには、行政組織内の正式な部門として位置付けられることが望ましいとしています。新規に設立する場合でも、外部の存在としてではなく、組織内に一定の権限を持って参加することが改革の実践には重要だと強調しています。また、行政に対して助言する役割に徹するユニットの形もあり得ますが、その場合でも「部外者」とならないための工夫と権限の確保が必要です。
サンスティーンは、既存組織か新規設立か、どちらのアプローチが優れているかには明言していません。むしろ、両者は相互補完的であり、状況に応じて両方を活用する可能性を示唆しています。
また、イギリスの「行動インサイトチーム(Behavioural Insights Team)」でCEOを務めるデビッド・ハルパーンは、自身の経験からナッジ・ユニットを実効性のあるものにするための6つの要素を挙げており、それらの頭文字をとって「APPLES」と呼んでいます。
① 行政の支援(Administrative support)
② 政治の支援(Political support)
③ 人材(People)
④ 場所(Location)
⑤ 実験(Experimentation)
⑥ 学識(Scholarship)
これらについてハルパーンは、イギリスのオドネル内閣官房長官による強力な支援が大きな意味を持ったとし、政治的支援と行政的支援の両方がナッジ・ユニットの活動に不可欠であると述べています。また、専門性だけでなく、将来的に協力者となりうる人々との個人的な関係性の重要性も強調しています。
加えて、政策決定者や関係者が日常的に行き交う場所、たとえば官邸や官庁のロビー付近にオフィスを構えることが、偶発的な出会いを通じたビジネス機会につながるとしています。そして、ナッジの施策が実際に機能するかどうかを評価するためには、実験的な手法による検証と定量的な評価が必要です。外部の学識者を招いた諮問グループの設置も有効な手段とされています。
なお、これらはナッジ・ユニットを新たに立ち上げる場合だけでなく、既存の行政組織内でナッジを実践する場合にもおおむね当てはまると考えられています。
サンスティーンとハルパーンはそれぞれアメリカとイギリスにおいてナッジ政策の中心的役割を担った人物であり、彼らの知見は非常に有用です。ただし、彼らの経験をそのまま日本の行政に適用できるとは限りません。例えば「場所」の要素について、日本では中央省庁や自治体の位置が固定されているため、オフィスの自由な配置は難しいと考えられます。
一方で、両者に共通する「人材」の重要性については、日本においても深く検討すべきポイントです。すなわち、専門性を持った職員を内部に育成・配置する「内製化」か、外部の有識者の知見を活用する「外注」か、といった戦略選択はナッジ・ユニットの運用の成否を左右する要素となるでしょう。